shidouofthedeadの日記

日々の雑文帳

永遠の少年

2022.1.23

高校生男子が街でワチャワチャしてるのを見るのが好きだ。コレは息子氏の親となってからの事でそれ以前、学級委員女子だった私は正直よくわからなかった。

映画「スタンドバイミー」や「打ち上げ花火下から見るか横から見るか(岩井俊二版)」の男子ノリについていけなかった。しかし、赤子から男子を育てて行くうちにその想像を絶する男子特有のバカ加減に慣らされた感もなくはないがなんとなく愛しいと思えるようになった。

反面、オッサンが『自ら』言う「永遠の少年」ってやつに疑問を持つようになった。

それって、自らの幼児性に開き直ってないか?甘えてないか?何もそう特別感出して言わなくてもいいのよ。男子、いや女子だっていつまでもどこかに少年性や少女性を持って、いくつになっても想像していたオトナになれなくて戸惑っているのを口にしないだけなんだから。

男子ばかりが中二病であるかの様なこと言ってるけど女子も中二の頃の自分を抱えて生きている。50になってしみじみソレを感じている。

そして、この少女性をどう扱って良いのか戸惑っている。

可愛さと永遠の少年との違いってなんなんだろう。アレかなコレも女子に言われるあざとさと同じなんぢゃないかな。

高校生男子たちのワチャワチャが好きなのはそこに異性を意識していないバカさや可愛らしさが流れているからだ。

かりそめ天国での熟年女優さんとアルピー平子さんの絡み見ているとそれをとても感じる。最初のあざとい作った「色気」を見せてる時の平子さんよりも熟年女優にへし折られた後でしょんぼりして小さくなっている平子さんの方がめちゃくちゃ可愛いしめちゃくちゃ一緒に色気を放出してるのだ。アレ、なんだろうなぁとずっと考えていた。

多分、それが異性に向けた形ではなくなるからだ。

幼児性でなく少年性や少女性。危うさ。ナイーヴさが現れ放出された瞬間、それが色気に繋がっているのではないだろうか。と。

そして、私はそれをふとした瞬間に受け取って揺らぐのではないだろうか。と。

男女ともに色気を考えると変に異性を意識して型に執着してハマろうとするけど、私にとってそれはおそらく違うのだ。その意識を超えた先にある溢れ出る危うさナイーヴさ可愛げを汲み取った時、揺らぐのだ。