掃除をしながら
「好き」の反対って「嫌い」ぢゃなくて「無関心」だって言うけどコレ、本当だな。としみじみ色々と振り返る。
「嫌い」って関心がないと湧いて来ないんだよ。
好きがなくなって、嫌いという情念に焼き尽くされた時に「好き」から解放されて終わって「無」になるんだな。などど。
だからね、「嫌い」を排除していったって決して「好き」が増えていくわけでなく「無」が増えていくだけなわけで……目に見える「好き」を増やして確認しようとしているとその「無」の存在を忘れてしまうものなのかもな。「無」の存在ってなんか矛盾しているけど。
反対に相手にとって「好き」でも「嫌い」でもなく「無関心」の感覚もなく「無」であることがとても悲しいのはそういうことなのかもしれないな。