shidouofthedeadの日記

日々の雑文帳

浮草

私は東京生まれ東京育ちだが江戸っ子ではない。
江戸っ子というのは三代、同じ下町の地で生まれ育たないと名乗れないらしい。
息子は歌舞伎の演目の舞台になる神社仏閣の近くの公立の小学校に通った。
そこにはそういうご子息が通っていて、広報誌の記事にもなっていた。
そんな、地域でも銀座や日本橋や浅草の老舗のご子息を前にしたら江戸っ子カーストでは負けてしまう。

東京だって元をただせばローカルで閉鎖的なのだ。

私が生まれたのは東京の最も東の外れ、川を挟んで千葉と埼玉に囲まれた江戸っ子の時代でいったら草っ原しかなかった地だ。ある映画やある漫画でまるで下町情緒あふれた地に描かれてはいるけれども歴史からいったら下町と名乗るにはおこがましい隣の千葉や埼玉よりも田舎といわれても文句言えない場所だ。実際、学生時代、そう揶揄されたこともある。
大きな工場があって転勤族が多かったり、越境通学の生徒がいたりで私の小学校時代はそういった三代が云々とか、どこの生まれの育ちなのかとかあまり言われることも考えることもなかった。母の生まれ育った町ではあったが祖父は千葉から祖母は神奈川から移り住んだ人だ。父は静岡の生まれ。多分、同級生もそんな感じだった。そんな地域で育ったからか、もとより、どこかはぐれもので孤立したところがあったからか私には地元愛とか地域愛とかそういう観念がない。でも、それは単純に東京だからと片付けられることではなく上にも書いた様に東京でも地元愛が強い地域は沢山ある。

こちらに越してきてから「地元愛」というものを考える機会が度々あった。
小説にも沢山描かれている。地元から離れず地元の中で一生を終える。それがベストだと思っている人々が沢山居ると言うこと。それが幸せだと思っている人々が沢山居ると言うこと。思えば母もそんな人生だった。
ほかの地域へ飛び出していく人々はその土地に学生時代に馴染めなかった子たちも多いと言う。無意識だったけど私も馴染めなかった一人だったんだな。私には帰る地元はない。

私は昔から関西という地に何かしらの憧れを抱いているところがある。
それは、自分の今居る場所からの現実逃避の憧れなのかもしれない。
そして、関西という地の暑苦しいほどの地元愛にあてられているのかもしれない。

しかし、最近、それもどうなのかな? と思っているところがある。
私の推しは関西の生まれだ。関西の生まれの人は自分の生まれた地のことばに誇りを持ってそのことばを例え東へ行こうが北へ行こうが守り続ける。そこを私は好んでいる。反面、この人たちはそこに縛られ続けるのではないかと思うこともある。

推しが結婚した時、まぁ、多かれ少なかれどんな場合でもお相手に関しての苦言は出る。
私もそんなこと何にもない! とはいわない。いえない。気持ちはわからなくもない。
そんな中でいくつか見たのは「何故、地元の女性ではないのか?」というものだった。
自分にはない考えだった。「東男と京女」ということばがある。彼らはその反対だ。自分が東の女だったからだろうかその意見が胸にひっかかり、突き刺さった。

いっぱいの魅力を持っている人だ。人は色々な要素を寄せ集めて誰かのことを好きになる。それだけでないとはわかっている。しかし、あえて問いたい。

ならば、彼が地元の人間でなかったらあなたは彼のことを好きにならなかったのだろうか?

人は自分と同じものに安心する反面、遺伝子は自分と遠いものを求める。
人は地元へと帰る。地元を愛する。私はその愛する先を持っていない。だからそんなことを度々、考えてしまう。


「故郷はどちらのものでもなく、これから家族で作ればいい」


そう言ってくれた人の地元で私は現在暮らしている。
両親が亡くなって私の地元の借家はもうすぐなくなる。
息子が生まれ育った部屋はもう誰か他の人の住処で息子の故郷はここではない。

浮き草暮らしの私は地元に憧れ、地元に恐れる。

しかし、わたしは自由でもある。