shidouofthedeadの日記

日々の雑文帳

踏み外したその轍

レールを踏み外してからが人生本番だ。私が踏み外したのは26歳のクリスマスの翌日、遅すぎた冬だった。あの日の東銀座から有楽町までの道すがら見た光は今でもぼんやりと頭の中に残っている。
25までに世帯を持たない様だったら自分で家を出なさいとどこかで上岡龍太郎が言っていたのを聞いてなんとなくそうしたいと思ってた。
思っていたけど踏ん切りが付かずこのまま、一生、私は家を出れずに終わるのかなと思っていた。


妹は仕事の関係で高校卒業後、円満に家を出ていた。その分、母の干渉は私に注がれ、成人した娘がLIVE帰り午前様をしたり、ヘアマニュキアで髪を赤く染めたりしてるのをあまり良く思っていなかった。
アメコミのフィギュアを並べる棚を見て気持ち悪いと嗜められた。


人生のレールを踏み外した私はそのスピードに乗って家を出る準備を進めた。母は嫌がらせで洗濯機も洗濯洗剤も私に使わせないと貼り紙を貼った。
家を出ていく日、「こんな風でなく嫁に出す日に見送りたかった」と言われて苦笑いした。26になるまで虫が付かなかった娘にどんな奇跡が起きたら嫁に行けたのだろうか。
……まぁ、母が最も嫌う様な虫が当時の私には付いていたわけなんだけど。


日暮里の六畳一間、キッチン、バス、トイレ別。私だけのサンクチュアリ。未だに幸せの象徴として思い出す。あの場所が私の人生のスタートの場所だった。


夫と出会い、あの場所を離れて
夫の部屋に転がり込み、息子を産み、運河沿いの高層住宅に移り住み
息子を育て息子が高校生の時、
義父が亡くなり、一人暮らしの義母を心配して……が表面上で仕事があまりうまく行ってなかったのを理由に夫は実家に戻りたいと言い出した。
息子は高3で受験を控えてる時期に無茶苦茶だった。息子の受験が終わるまで、夫と別居という形になった。その頃、私の勤めていた書店が閉店することになり、こちらに留まる理由のひとつを失った。息子の進学先が決まり、夫は私に故郷に来る様に急かした。正直、私は自分の生まれ育った東京を離れたくなかった。夫は地盤に帰るだけで私のこの歳で見ず知らずの土地へ住処をかえる怖さを閉じ込められる怖さを理解してくれなかった。
あの時、まだ、18足らずの息子が「東京でずっと生きてきた母さんがそんな田舎で暮らしていくなんて無理だ! なんでそれがわからないんだ」と庇ってくれたのがとても嬉しく、その姿が見られたから、もう、なんでもいいやとなった。


息子の引越し先が決まり、引っ越しを終え、私は今住むこの地に住処をまた、かえた。ここに閉じこもり、ただ、ただ、朽ちていくんだなぁと思ってた。


と、まぁ、思っていたんだけど
ご存知の通り朽ち果てる一歩手前で、また、足掻いて、そのレールを自ら踏み外し新たなステージ(?)へ向かおうとしてる。そんな気がする。


最近、気付いたのだけど、今、こうしてこれを打ってる自室が段々と日暮里のサンクチュアリに雰囲気が似てきた。部屋はその人を現すと言うけれど。あの時の私にまた近づいているのかもしれないなぁなんて。


あの時みたいに大幅に踏み外すパワーはないけど……たぶん。