shidouofthedeadの日記

日々の雑文帳

触れる

未だに人に触れることが苦手だ。
わたしの親はスキンシップが苦手だった。
昭和の親なんてそんなもんだろう。
折檻された記憶はあるけど撫でられたり抱きしめられた記憶はない。
そんな風に育ってきたし、自己肯定感最低レベルだったので、
誰かの身体に触れるなんて怖くてできなかった。
こんな醜いわたしを触ってくれる人なんて居ないと思ってた。
わたしに触れられたら嫌がるだろうと思っていた。
女ともだちともキャッキャと触れ合った記憶がない。身体が固まる。

そんな私に初めて触れてくれたのがあの人だった。
身体が固まった私に怖がることはないといってくれた。
もっと自信を持ちなさいといってくれた。

息子を授かって、触れることに怖がってなんていられなくなったけど
やっぱり、どこか、触ることが怖くて、抱きしめたりはあまり出来なかったけど
手をつないで歩くのは好きだった。
成長してどちらからともなく手をつながなくなってとても寂しかった。

オバチャンのコミュニケーションで肩をたたいたりすることがたまにあって
そういうこともたまにするけど、違和感を感じながら恐る恐るタッチする。

未だに私は自信がない。
自分が誰かに触れていい存在ではないのではないかと
心のどこかで思っている。
反面、私に触って欲しいとどこかで誰かに願っている。
あの人が言ったように自分に自信を持たない限りそれは叶わない。
何十年経っても私は同じところを堂々巡りしている。
ぬくもりを求めて、いつになったらここから抜け出せるのだろう。

 

 

 

自虐の罠

「ファン、いないんです」
「女の子(男の子?)のファンいなくて」
ウケを狙おうとしてこんなコメントする姿をよく見かける。自分を貶めるその言葉に「では、私はなんなんだ?」とモヤモヤするファンがいることを多分、彼ら彼女らの頭には描かれていない。
そうして、見えないことになっているファンたちが自分の居場所を見失って、不信感を募らせて去っていくことも彼らは知らない。気付かない。
そもそも、彼らの思い描いているファンと見えないことになっているファンとのファン像が違うのだ。
私たちが思い描くアーティスト像と同じ様に思い描くファン像って言うのがあるのかもしれないと居場所を見失い流離いの果てわたしも気付いた。
それは見目麗しい若い女の子たちかもしれない。それは血気盛んな野郎どもかもしれない。そして、おそらく、思い描くファン像に年を重ねた女性……BBAが描かれる確率は……とても低い。これもまた、自虐である。
思い描くファンでないから彼ら、彼女らには見えない。居ない存在になってしまう。
私は居ない。見えない。かといって、私はその思い描いたファン像にはならない。
なれない。無理してそれに倣おうとすれば不協和音が起きる。
自意識のぶつかり合い。両者が一致するのは奇跡だ。

と、まぁ、そんなことを言ってるのはとても小さな世界の中でのこと。
世界が広がればそんな小さなことを気にしていられなくなる。
目に入らなくなる。
私も大きな海原の中に浮かぶ泡の一つだと思えるようになる。
秋の真っ赤に染まる山の一枚の紅葉になる。
私はその景色の一部で構わないと思う。

先日、おすすめであるポストが流れてきた。
ある人が付けたそのレスはどこかで見たのと同じ
自分のフォロワーには「いない」という自虐のポストだった。
私はそこにそれは「いる」と知っていた。でも彼には「いない」
「見えない」んだなと思った。悲しいな。と思った。
どうか、私のように拗らせた亡霊になる人が出ないようにと祈った。

現在、私はあの頃と比べればとても安定している。
こういった方向に持って行かない人を好きになったからだ。
彼はぼんやりとしか客席が見えないと言った。
見えてるかもしれないけど彼は見えないと言っている。
実像のない亡霊と自分を重ねていた私はそのことばに安らいだ。
見ている、見えていると言って自分の見えるもの見たいものだけを見ているよりも
そのことばは誠実に思えた。見えなくていいそう思えた。それでいい。
また、再び、変な自意識に苛まれない様。私は亡霊で居続ける。

旅は続く

初めての一人旅は恋に限界を感じていた時だった。何度か友人と行った伊豆の旅だった。植物園へ行ったり
行き当たりばったりでバスに乗って途中下車して偶然、河津桜を見たり
水族館へ行ったりぼんやりと歩く旅だった。とても楽しかった。また、できたらいいなぁと思った。


その後、限界の恋は終わり、今の夫と出会い結婚した。


あの旅が私にとっての最初で最後の一人旅になるだろうとなんとなく思っていた。
家族の中で息苦しさを感じる時、
あの旅を思い出し、行くことのない一人旅を妄想した。どこか遠くへ行きたい。そんな時、よくつぶやいていた。


さて、そんな私がLIVE遠征をきっかけに最近、1人で旅をしている。
コレはあの日、妄想していた夢がちょっぴり叶っているのではないか。
今日、宇都宮のカフェで不意に気付いた。
最初で最後だと思った旅が大好きな人たちのLIVEに連れ出され、また、始まったのだ。終わりなんてなかった。止まったと思った時間が動き始めた。


どこへ行きたいというわけではない。

ただ、日常から離れ
ほんの刹那でもケからハレへ列車に乗って
小さなでも寛大な
私にとっての旅がまた、始まった。
今度こそ終わりと諦めずに天高く飛ぶ。
私はグレートジャーニーを続ける。

 

あ〜る生誕祭

ノってるやつもノらないやつも
ガッツり掴んで
みなの目を釘付けにする
驚異のスキルで
ヘイターをも組み伏せる
そんなあなたの背を
草葉の陰からゴンフィンガーするその日まで追いかけられたらと願っています。
どうぞ日々健やかでありますように。
Rさんお誕生日おめでとうございます

アーティストたちを圧倒する
類のない
至高レベルに
天才的な
いつものラップで今日もかましちゃってください🎤

ムスメドウジョウシ

今日あの子無垢に同情し
京鹿子娘道成寺


アマタの目よりもあなたの目を信じ
蛇の目の傘に隣り合ったあの日


誰に見しょとて紅かねつきょうぞ
彼に見せとて縁(えにし)が尽きぬと


愛しLINEに返事が来ずとも
誰にも明かさぬルールをひいて
シャトーで過ごしたあの夜を胸に
アコーディオンのタンゴの音色
寝入るあなたを置いて出た部屋


鐘に怨みは数々ござる
彼に恨みも数々ござる


堕天使たちが灯す火焔
螺旋に渦巻き
逢えぬ哀しみ閉じ込めた鐘撞堂
抱く想い出焼き尽くせたのなら


誰に見しょとて紅かねつきょうぞ
我に見しょとて紅かねつきょうぞ

 

 

 

 

眠れぬ夜

以前住んでいた団地に
いついかなる時も白いスーツを着ているお爺ちゃんがいた。
ある真夜中、建物内の火災報知器が発動し、住人は眠気まなこで吹き抜けに待機することになった、寝巻き姿やスウェット、パジャマの住人が溢れる中、私は目を疑った。いつも通り白いスーツでその人は立っていた。警報は誤報だった。

しかし、白いスーツの老人が頭から離れず、私は眠れぬ夜を過ごした

キレイ

キレイとは縁遠い人生を送ってきた。母は華美を嫌う人だった。流行の服は着せてもらえなかったし
自らも普段から化粧をしない人だったので成人するまで化粧なんてもっての外だった。娘が女の身体に成長していくのが汚らわしく、ふしだらだと罵った。大きい胸が目立たぬ服を着せられ、その癖、変なクルクルパーマをかけられた幼少期が未だに謎だ。親に容姿も褒められたこともなく、コンプレックスばかり植え付けられた。
未だに化粧の仕方がよくわからない。アイラインの入れ方も口紅の輪郭の取り方もよくわからないでしているところがある。
イベントホールの受付事務をしてた時、ギョーカイ(多分、演歌系)のおっさんに「変な化粧の仕方してないでちゃんと勉強しろ! 気持ち悪い」と言われたこともあった。腹が立ったけど何でそんなこと言われにゃならなかったのかわからない。
でも、人生で何度もこの言葉は投げかけられたのでああ、私はそういう女なんだろうなとだけは思ってた。

この歳になって、YouTube万歳!インスタ万歳!で何となく化粧のやり方を流し見してる。こんな気の遠くなる様な努力をしてたのかと今更ながら感心してる。


年頃になって、家に女友だちが遊びにくると母は「あの子は女優さんだから化粧が垢抜けてる」とか「あの子は流行に敏感だから」と褒めてる様でどこか下世話な目で私に言った。自分が作った芋娘と見比べてた。それに反発することを覚え、男好きされない方向へ向かって私は走っていった。自分のスタイルを確立して行った。スタイルなのかは定かでないけど。それがあったから今の私があるわけで。
男好きしそうな化粧をしたら、お付き合いしてた相手に「似合わないからやめた方が良い」と言われた。
正解なんかないけど何が正解なのかホントわからなかった。


息子がまだ幼かった頃、一度だけ父と母と妹と息子と私で北海道へ旅行したことがあった。子育て中だからそうたいした化粧もしてなかった。
部屋を案内してくれた中居さんが
「あら、お嬢さん、おキレイ!女優さんみたい」と言い出した。お嬢さん? どこ? と見回したら私の方を見てた「は?」となってたらすかさず母が「ええ、うちの子キレイなんですよ。よく言われます」と自分の手柄の様にご機嫌に返していて「は?はぁ?は?」とあっけに取られたのを今でも思い出す。


我が子を「キレイ」から遠ざけていた人が我が子の「キレイ」を自分の手柄にしている。なんだこれ。


飾らない美しさとか言いたかったのだろうか? でも、それは心の中から出てくるもので、その芽を潰して歩いていたことに母はまるで無自覚だ。


それは、あなたの手柄でなく娘が自らもがいて掴み取ってきたものなのではないだろうか。


未だに私は自分のことをキレイだとは思わない。でも嫌いではなくキモいとも言わなくなった。


キレイってなんなんだろう
わからない。