shidouofthedeadの日記

日々の雑文帳

自虐の罠

「ファン、いないんです」
「女の子(男の子?)のファンいなくて」
ウケを狙おうとしてこんなコメントする姿をよく見かける。自分を貶めるその言葉に「では、私はなんなんだ?」とモヤモヤするファンがいることを多分、彼ら彼女らの頭には描かれていない。
そうして、見えないことになっているファンたちが自分の居場所を見失って、不信感を募らせて去っていくことも彼らは知らない。気付かない。
そもそも、彼らの思い描いているファンと見えないことになっているファンとのファン像が違うのだ。
私たちが思い描くアーティスト像と同じ様に思い描くファン像って言うのがあるのかもしれないと居場所を見失い流離いの果てわたしも気付いた。
それは見目麗しい若い女の子たちかもしれない。それは血気盛んな野郎どもかもしれない。そして、おそらく、思い描くファン像に年を重ねた女性……BBAが描かれる確率は……とても低い。これもまた、自虐である。
思い描くファンでないから彼ら、彼女らには見えない。居ない存在になってしまう。
私は居ない。見えない。かといって、私はその思い描いたファン像にはならない。
なれない。無理してそれに倣おうとすれば不協和音が起きる。
自意識のぶつかり合い。両者が一致するのは奇跡だ。

と、まぁ、そんなことを言ってるのはとても小さな世界の中でのこと。
世界が広がればそんな小さなことを気にしていられなくなる。
目に入らなくなる。
私も大きな海原の中に浮かぶ泡の一つだと思えるようになる。
秋の真っ赤に染まる山の一枚の紅葉になる。
私はその景色の一部で構わないと思う。

先日、おすすめであるポストが流れてきた。
ある人が付けたそのレスはどこかで見たのと同じ
自分のフォロワーには「いない」という自虐のポストだった。
私はそこにそれは「いる」と知っていた。でも彼には「いない」
「見えない」んだなと思った。悲しいな。と思った。
どうか、私のように拗らせた亡霊になる人が出ないようにと祈った。

現在、私はあの頃と比べればとても安定している。
こういった方向に持って行かない人を好きになったからだ。
彼はぼんやりとしか客席が見えないと言った。
見えてるかもしれないけど彼は見えないと言っている。
実像のない亡霊と自分を重ねていた私はそのことばに安らいだ。
見ている、見えていると言って自分の見えるもの見たいものだけを見ているよりも
そのことばは誠実に思えた。見えなくていいそう思えた。それでいい。
また、再び、変な自意識に苛まれない様。私は亡霊で居続ける。