shidouofthedeadの日記

日々の雑文帳

籠釣瓶

籠釣瓶という歌舞伎の演目がある。
田舎者の商人のあばた男が花魁道中で見かけた花魁に一目惚れし、貢ぎ、性格もよく気前の良さから身請け話まで進んだのに花魁に情夫がいるため花魁を手に入れることが出来ず、
籠釣瓶という妖刀を手に入れ全てを滅ぼし自らの身も滅ぼしていく話である。

私はこの悲劇が昔から大好きだった。
ひたむきに愛しても叶わない思い。
こじらした愛が行き場を失い、暴走し破滅していく悲しみ。

今日、Twitterでこの演目が流れてきてフッと思った。
これって推し活の悲劇ぢゃん!
行き場を失った愛。
元々、行き場のなかった愛。
勝手に相手に届いていると誤解してた愛。

一方通行なのにそうと気付こうとしない愛は悲劇を生む。

元々、相手には見えてなかったのに自分は見えてると信じていて
自分が相手に見えてなかったことに気付いた時に抱く裏切り、身勝手な背信感。

自分の推し活歴を振り返ってみると
私、かなりやべぇやつだったのかもなと思うことがある。
若さ故の暴走っていういいわけをしつつ。

ラジオにリスナーとして出たこともあった。
イベントにも足を運んだ。

芝居のカーテンコールに差し入れを持って爆進したこともある。
チケット運が良かったこともあるけど、いつも最前で見ていたこともある。

歌舞伎座の楽屋口で仲間と出待ちを重ねもしたし、お茶会に連れてってもらったこともある。
仲間が調べてきた稽古場にこっそり着いていったこともある。
(あれ、どうしてそんなんわかったの? 仲間、謎)

ライブで地方遠征もした。
午前様もした。
一度だけ露出度が高い服を着てクラブに行ったこともあった。

若気の至りなんてことばで括っていいのかわからないけど振り返るとお前、なにやってたんだよ! と呆れてしまう。
でもまぁ、それがあるから現在の私が居るわけで。

だからというわけではないけど、
私は強くあれはダメ、これはダメ、そんなことするなんて信じられないなんていえなくて、
でも、だからこそ、その一方通行の情熱とかパワーとかまぶしかったり、
もう、そんな気力も体力もなくて消費できなくて。

そんなんだから、まさか、また、自分がそこへ帰ってくるなんて思ってなかったのに一年ほど前に、こうして、そこへ帰ってきて、
その一方通行の想いをどう操るか、どう制御するか、どう発するか、どう距離を取るのか試行錯誤しているわけで。業ってやつなんですかね。

ただ、もう、傷ついて立ち直るだけの体力も残ってないし、
相手に見えてないことも悟ってしまったし、
ただただ、遠くで見守るだけでいいのではないかなんて想っているのに
私はここに居るんだ!! って私もどこかに潜んでいるわけで。

現在、そんな私の目の前にもし籠釣瓶が置かれたとしたら
私はその鞘を握るだろうか?
その鞘を抜き捨て、愛しい人に斬りかかるだけの愚直さを持っているだろうか。
その愚直さがないというのならば私の今持っている愛はどういうものなのか?
どこへ向かっているのだろうか。
私はどこに立っているのだろうか。
私はどこにどうやって存在しているのだろうか。

答えは出ないとわかっていてもずっとそんなことを考えている気がする。