shidouofthedeadの日記

日々の雑文帳

ディスタンス

ラキフェスからひと月が経とうとしている。
あの前後から私の推し活意識がまた、変化してきている。とても良い傾向だ。
今回、LIVEの撮影OKという現場に立てたのは非常に大きかった。
クラブ系文化では撮影OKの現場はかなり多い。今回のフェスの撮影OKも海外のフェスを視察してきた主催者の海外ではそれが当たり前と言う文化を汲んでの決断だった。
フォロワーさんから流れてくるLIVE現場の動画に楽しませて頂いていた恩返しも兼ねて、コレは撮るしかない! と。
とはいえ、素人なんで画角もズームも全部下手くそだ。(一応、映像系の学校に通ってたんだけどなぁ……)
でも、まぁ、それもライブ感をと言うことで幾つかSNSにも上げさせてもらった。

さて、私の信念のひとつに
「LIVEの客席の位置は神様の現在の私への采配だ」というのがある。
昨年、突如、ライブシーンに返り咲き、幾つか足を運び、
ステージが近い時も遠い時もそれが今の私と彼らの距離なのだと思った。
不思議としっくりしていた。
ところが、だ。今年に入ってからのLIVE、指定席でなく整理番号というプラス自分の意思で動かなければと言う試練が付いてきた。
今までの私だったら、決して最前線は選ばす、全体が見渡せる、半ばの一段高い場所などを選んでた。スカパラとクリピの対バンの時もそのつもりだった……だったのだが、係の方の「右手前方、まだ、余裕がございます」のことばに背中を押され、前方エリアに一歩、飛び込んだ。あの一歩から流れが何か変わっていった。
新宿の梅田サイファーもその前に流れてきたフォロワーさんたちのライブツイートに背を押され前方エリアに飛び込み、幕が開くと推しが目前に現れ、近すぎて混乱した。
ラキフェスに至ってはUCは最前列、CNは前から二列目……自分で飛び込んでいた。

本当にこの距離感でいいのだろうか?

CITY BOYSライブに通ってた頃、ライブハウスみたいな小さな小屋だった頃はどこに座っても目の前だったし、あの頃、自己顕示欲の塊だった私は圧倒的な自信で自分は認識されていると信じていた。(交流したことなどなかったけれども……)
スカパラに通っていた頃も……とても近くで見ていたという記憶しか残っていない。
遠い時も勿論あっただろうと思うのだけど……記憶に残っていない。
オズワルドは最初前から7列目、後もチケットが手に入ったものに関しては小屋も小さいのもあるけど近距離だった。だか、距離が近いからって心も近づけるとは限らないことをこの歳になって学んだ。
さて、クリピだ。昨年のラキフェスは初めてのフェスで前に飛び込む勇気がなかった私は会場の三分の一くらいの一段高くなった位置で初めて生で見た。それで充分も近いと思っていた。最初のワンマンの現場は武道館だったから、一般で買ったので遠くて当然。
次のスーパーアリーナも同じく。フロホリも武道館も。
でも、何故だろう?それが普通だと思っていた。ラキフェスより近くでクリピを観ることは多分、二度とないだろうと思っていた。それでいいと思っていた。その距離が神様の采配。
だと。

ところが今、ここまで近づいた。しかし、近づいたからといってどうなのだろう。
不思議なことに自己顕示欲が沸いてこない。近くで見られるのは嬉しいのに
今までの私と何か違う。承認欲求が浮かばない。浮かびかけてもブレーキがかかる。
ただ、観ていたい。見守っていたい。それだけ。

ラキフェスで撮った動画は後で見返すと当たり前なことなんだけどいつも私が追ってる目線のまんまで私はこういう目で彼らを彼を観ているのかと再確認させられた。
一番好きな動画は「生業」の動画。前から2列目とはいえ、立ち位置からすると
Rさんからは離れていて、横からで表情もはっきりと見えないけど、立ち姿が、佇まいが、光と影がとても美しくて、ああ、私はこれを観たいのだな、これを愛して、これを収めるためにここに居るんだな。と思えた。何度も何度も繰り返し観ながらそれは確信へとかわっていった。

先日の目覚ましフェスでもその気持ちは変わらず、ああ、私はこのスタンスでこれからも進んでいくのかな?と思い始めた。人の気持ちは変わっていくからなんともいえないけど。
明日はUCで今まで以上に早い整理番号を持ってる。果たして私はどう動くのか衝動はその場になってみないとわからない。わからないけど。ああ、今の私の距離感、心地よいのは間違いないのだ。